エージェントレイヤー構想とユビキタス・コンセプトデータベース
三淵 啓自
株式会社日本ウェブコンセプツ[1]
〒112-0015 東京都文京区目白台1-15-19
平成15年1月26日
概要
私は、ユビキタスな情報社会を構築するためのインフラとして、「エージェントレイヤー構想」を提案する。すなわち、現代社会における情報伝達の場をエージェント機能の視点から5つのレイヤーに分類し、特に核となるデータベースにユビキタス・コンセプトデータベースを用いることにより、情報社会に必要とされるインフラを提供する。同構想の実現可能性のリサーチとして、まずはクライアントのプラットフォームややりとりする情報の形式について制限的な開発を計画している。
1. はじめに
加速度的に情報化が進む現代社会において、情報の無秩序化やプライバシーの侵害といった多くの問題が生み出されている。最近では、ブロードバンドやユビキタスコンピューティング[2]の考えが社会全体に普及し、部分的な技術開発のみでは、上述の問題がますます深刻化すると思われる。従って、ユビキタスな情報社会を構築するためのインフラの設計が急務である。
そこで私は、上述の諸問題を解決し、必要な情報をユビキタスに提供するインフラとして、「エージェントレイヤー構想」を提案する。本構想では、人間の神経系における情報伝達機構をモデルにして、現代社会における情報伝達の場をモバイルエージェント機能の視点から5層に分類する。更に、その最上層に位置付けされるデータベースとして、ユビキタスなコンセプトデータベース[3]を提案し、それによってエージェントやデータの分散管理を行う。本構想は、エージェントがそれぞれの階層における状況の違いを吸収し、ユーザーにとって必要な情報の発信や取得が(相手の置かれた状況を考慮することなく)ユビキタスに可能となる等といった特徴を持ち、新規的で興味深いものである。
本論文は、以下の内容で構成されている: 次の第2章で社会における情報の流れを(ユーザーや環境も含めた形で)分類した「エージェントレイヤー構造」について述べる。そして、各階層とエージェントの関係や、本構想の核となるユビキタス・コンセプトデータベースについて述べる。ここの内容が本論文の主題で、概念的な提案がなされている。続いて第3章で、エージェントレイヤー構想の実現へのリサーチの第一段階として、制限的な開発とその中途レベルでの応用領域について触れる。最後に第4章で、本論文における提案をまとめる。
2. エージェントレイヤー構想
私の提案する「エージェントレイヤー構想」では、ユーザーにとって必要な情報の発信や取得が、デバイスや場所・時間に関係なく可能となるような情報社会のインフラ構築を目標としている。そこでは、情報の伝達や処理がエージェントの機能によって実現し、そのエージェントは新たなタイプのデータベースによって管理・最適化されている。まず、そのようなパラダイムを提供するのに必要なインフラを考える上で、社会における情報の流れを、エージェントの視点から5つの階層に分け、機能や役割を整理してみる(図1参照)。
図1: エージェントレイヤー構造の模式図。社会における情報の流れを階層的に分類している。階層は(外界を含めて)5層からなり、同じ階層内または異なる階層間の情報伝達はエージェントによってなされる。
図1によると、情報の流れにおける階層構造の概略は、下から以下のようになっている: まず、(0)外界層(Environment Layer)は自然界やユーザーを含む社会そのものを指す。すなわち、(人間に限らず)情報を様々な形で提供・享受するもの全てである。これは、人間の神経系における情報伝達機構になぞらえると、刺激(Event)に相当する。次に、(1)デバイス層(Device Layer)は外界と電脳世界の橋渡し的なデバイスを指す。これは人間の神経系に当てはめると、五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)に相当する。(2)パーソナル層(Personal Layer)は、瞬時のレスポンスが要求される処理を行うサーバーを指し、人間で言うと、運動神経や感覚神経を通した筋肉による反射運動に当たる。また、(3)エージェント層(Agent Layer)[4]はその下層のサーバ群をクラスタリングしたセンターであり、エージェントの作成や制御を司る。人間に当てはめると、脊髄や小脳のような働きをする。最後に、(4)データベース層(Database Layer)は膨大なデータの管理・貯蓄を目的とし、大脳的な役割を持つ。
次に、各レイヤーの働きについてより詳しく述べる。
1.デバイス層
デバイス層は自然界や人間社会と接して情報をやりとりするため、レイヤー構造の中で最下層に位置する。ここには、一般的なI/Oデバイス(キーボード、マウス、モニター等)やセンサー等も含まれる(図2参照)。
図2: デバイス層の例。I/Oデバイスを含む様々なデバイスが、外界と電脳世界の橋渡し的な役割を担っている。
デバイス層は、収集された外界の情報を上層のパーソナル層に伝達する。エージェントレイヤー構想におけるデバイスが現状のものと異なる点は、それ自体がエージェントのプレースとして機能していることである。このことにより、以下の2点が可能になる。
(1)
個々のデバイスの規格がメーカー毎にばらばらでも、ユーザーは特別な設定なしにデバイスを使用することができる。なぜなら、上層のエージェント層を通してメーカーのサイトやデータベースからデバイスの機能など固有の情報がパーソナル層まで伝達され、そこでデバイス層における個々の違いが吸収されるからである。
(2)
個々のデバイスに、自己診断や機能変更などのプロシージャーを持ったエージェントがオキュパイしている場合には、上層との情報交換により、自動的にそのような機能もパーソナル層から活用することができる。例えば車の運転においては、エンジンの状態やブレーキの制御などの情報から、運転手にパーツの交換をリコメンドするなど、より安全なドライビング環境を提供することが可能になる。
2.パーソナル層
パーソナル層はデバイス層の上層に位置し、パソコンやPDA、カーナビ等を連結・連動させたパーソナルセンターによって構成されている。パーソナルセンターは、デバイスからの入出力のコントロールやローカルなデータのストレージ、使用頻度の高い情報の処理など瞬時のレスポンスが必要とされる機能を有している。更に、上位のエージェント層に新規エージェントのリクエストをしたり、ストレージ内データの上位層へのバックアップやデュプリケーションをする。たとえば、車内のモニターやセンサー等を連結して、パーソナルセンターを構築している例を考えてみよう(図3参照)。
図3: パーソナル層の一例。車内にあるモニターやセンサー等をつないで、個々の車におけるパーソナルセンターを構築している。また、異なるパーソナルセンター同士も、携帯電話やブルートゥースを用いて情報交換をすることができる。
運転中における速度メーターやセンサーとカーナビ間の情報伝達により、付近や目的地までの地図情報を効率よく運転手に知らせることが可能である。また、ここには様々な車載デバイスから採取されたプライベートな情報もストレージされており、運転手にチューニングされたサービスも提供することができる。更に、ブルートゥースを用いて他の車のパーソナルセンターと情報を交換することによって、衝突防止システムや混雑認識システムなどのサービスの提供も可能である。
3.エージェント層
エージェント層はパーソナル層の上位に位置し、エージェントレイヤー構想におけるサービス全体の基幹となっている。この層は、エージェントを作成・制御しているサーバーやデータを管理しているサーバーを多数クラスタリングしたエージェントセンターによって構成されている(図4参照)。
図4: エージェント層の模式図。エージェントを作成・制御しているサーバーやデータを管理しているサーバーが多数クラスタリングされて、1つのエージェントセンターを形成している。また、エージェントセンターは他のエージェントセンターやインターネット等と接続されている。
この層では、エージェントが下層のパーソナルセンター内のデータの整合性をチェックしたり、そのバックアップを取ったりしている。また、エージェントセンターは世界各地に設置され、それらを高速ファイバーで接続することにより、データの共有化が図られている。更にエージェントセンターは、インターネットや電話/無線回路網とも接続しており、それらへのゲートウェイ的な働きも担っている。
4.データベース層
データベース層はレイヤー構造の最上位に位置し、データ管理やエージェントの最適化の役割を担う(図5参照)。
図5: データベース層の模式図。共通のデータから個人ユーザーにチューニングされたデータまで、様々なデータを管理するサーバーが多数集まってデータベースセンターを構成している。
データベース層では、全てのデータはPrivate/Group/Publicの属性が付加されて管理され、全てのエージェントのオーソリティーはこの各属性に対応している。この管理方式によって、個々のユーザーへのチューニング、サービスの高速化やセキュリティーの強化が図られている。また、エージェントはデータベース層にストレージされたナレッジに従って常に最適化されている。このようなデータ管理やエージェント最適化の機能を持つサーバーが多数集まって、1つのデータベースセンターを構成している。その中心となるデータベース管理システムには、レイヤー構造におけるエージェントによる情報伝達の利点を最大限に活かすために、新しい発想に基づくデータベース「ユビキタス・コンセプトデータベース」を用いる。
最後に、ユビキタス・コンセプトデータベースについてより詳しく述べる。このデータベース管理システムでは、ユーザーのデータ活用遍歴やシステム上のソリューションが「概念(コンセプト)」という形で抽出され、それらがナレッジとしてデータベースに蓄積されている。これらのナレッジや様々なデータが、ユビキタスコンピューティングに適応して活用可能なように管理されているのが、「ユビキタス・コンセプトデータベース」による管理システムである。
本管理システムにおけるナレッジやデータの管理方式は、従来のリレーショナルデータベース[5]での方式とは異なり、新しい発想に基づくものである。各データは、それ自身を特徴付けるサブスペースの一要素として登録され、登録時のログや別の要素とのリレーションが辞書として更新される。従って、ユーザーが様々なデータをデータベースに投げ込むたびに、本システムはユーザーのデータ活用遍歴やユーザーとの対話によって、リレーションの作成やデータのセグメンテーションを半自動的に行う。例として、「Aさん」の電話番号「**-****-****」を登録することを考えてみよう。従来のリレーショナルデータベースによる管理方式では、これらのデータは、「名前」と「電話番号」を関係付けるテーブルに追加登録される。しかし本システムでは、「Aさん」は「名前らしきもの」で特徴付けられるサブスペースの要素として、「**-****-****」は「電話番号らしきもの」で特徴付けられるサブスペースの要素として登録され、両要素の関係などが辞書として更新される。このように、本システムはコンセプトベースの管理方式を用いるため、リレーションを定義したテーブルの設計は不必要であり、データベースを統合する際にもサブスペースの和集合を取るだけで良い。
更に、本データベース管理システムの特記すべき特徴として、メッセージ情報の一元化された管理方式が挙げられる。全てのメッセージ情報(電子メールやウェブページ、電報、電話の伝言メッセージ等)は、送受信時の環境によらず、「メッセージらしきもの」で特徴付けられるサブスペースの要素として一元管理される。従ってメッセージを送信する際に、例えば、相手が自宅のパソコンでメールを読むのか、会社のパソコンを使うのか、それとも携帯電話の伝言メッセージとして聞くのかなどを意識する必要がない。メッセージを受信する側は、自分宛てのメッセージが格納されているサブスペースにエージェントを通してアクセスし、読むだけである。この機能により、サービスの提供側の手間を軽減するとともに、サービスの重複を防ぎ余剰な情報量を減らすことが可能になる。
3. 制限的開発と応用領域
私の提唱する「エージェントレイヤー構想」は、ユビキタスな情報社会を構築するための大規模なインフラとなるものであり、実装には膨大な時間と費用がかかると思われる。更に、データの共有化やコンセプトベースのレコメンデーション機能の収束性などを考えると、デファクト・スタンダードとして定着しなければ意味をなさない。従って、できるだけオープンな形でのシステム開発が望まれ、幅広い業界や国の協力が不可欠である。
本構想の実現へのリサーチの第一段階として、制限的な開発を計画している: 扱うデータは文字列のみとし、デバイスは、キーボード、マウス、モニター、スピーカーに限定する。パーソナルセンターは、ノートパソコン(Win2000)、PDA(Pocket PC)、携帯電話(i-appli)で構成され、その上でのデータのストレージ、データ管理エージェント用のプラットフォームの開発をする。更に、エージェントセンターとデータベースセンターは同一のLinuxサーバー上に構築し、異なるパーソナルセンター間でのユビキタスなデータのやり取り、エージェントの発行、エージェントセンターからのインターネット・携帯情報網へのゲートウェイの開発をする。また、本システムは数名のユーザーを対象としている。データベースにおけるデータのクラスタリングは、統計的手法[6]を用いてオフラインで行い、その結果をパーソナルセンターに反映させる。
上記の制限的開発は、小規模のグループウェアとしての応用が可能である。現在、産経新聞社のニュース配信サービス[7]と連動させた、情報提供サービスのクライアントとしての発展も考慮中である。クライアント・ソフト自体は、広くユーザーに無償で利用してもらい、今後の開発に活用していきたいと考えている。
4. 結論
本論文では、必要な情報をユビキタスに提供するインフラとして、「エージェントレイヤー構想」を提案した。本構想では、現代社会における情報の流れが5層に分類されている。各層間での情報の伝達や処理はモバイルエージェントの機能によって実現され、そのエージェントは新たなタイプのデータベースによって管理・最適化されている。本構想は、従来のシステムにはない以下の3つの特徴を持っている:
1.新しい発想に基づく「ユビキタス・コンセプトデータベース」
新しいデータベース管理方式によって、コンセプトベースの検索が容易になり、必要な情報を高速に取得することが可能となる。また、従来のデータベース統合作業の困難を解消する。
2.データの共有化
全てのデータにPrivate/Group/Publicの属性を付加して管理し、各属性に応じてエージェントが機能することにより、個々のユーザーへのチューニング、サービスの高速化やセキュリティーの強化を図る。
3.メッセージ機能
エージェントが各レイヤー内での環境の違いを吸収するため、メッセージを発信する側と受信する側はお互いの環境を直接に意識する必要がない。この機能により、発信側の手間を軽減するとともに、メッセージの重複を防ぎ余剰な情報量を減らすことが可能になる。
以上の新規性により、エージェントレイヤー構想は、現代の情報化社会における多くの問題を解決するためのパラダイムを提供できる。今回は本構想の実現への検証の第一段階として、1つのサーバーで数人のユーザーを対象としたユビキタスな情報提供環境の構築を計画している。
著者について
三淵 啓自
株式会社日本ウェブコンセプツ[8] 代表取締役
学生時代の研究テーマが、画像認識でAI、評価関数空間のクラスタリング方法に興味を持ち、卒業後、OMRONのサンタクララ研究所にて推論エンジン・学習システムの開発・研究に取り組んだ経験がある。ファジー自動ルール生成システムにおいては国際ファジー学会で発表し、その関連の研究で米国特許も保持している。更に、近年インターネットにおけるわいせつな表現や中傷を、排斥するための言語認識システムのアルゴリズムの提案・開発や、わいせつ画像の認識システムの開発・研究これらの経験は本プロジェクトにおけるデータのセグメンテーション、関連付けには必要不可欠な要素技術である。
また、大手電話会社様との業務でリコメンシステムの開発に携わったり、産経新聞社様との業務でニュースやメール配信システム設計・開発・運営[9]を、しており、実務的で公共性のあるデータベースに関連する業務経験も豊富である。更に、弊社の基幹業務として、携帯系の公式コンテンツの制作・管理運営の経験も、ユビキタス情報提供には、欠かせない技術の一つである。
[1] http://www.nwco.com/
[2] 「ユビキタス(ubiquitous)」とは、ラテン語で「どこにでも存在する」という意味。「ユビキタスコンピューティング」とは、複数のコンピューターがあらゆる場面に埋め込まれ、ユーザーが意識することなく利用できるコンピューティング環境を指し、マーク・ワイザー氏によって提唱された(Mark Weiser, 1988)。
[3] ここでコンセプトデータベースとは、概念(コンセプト)としてデータやナレッジを蓄積・管理するデータベースを意味する。従って、and/or検索等はもちろんコンセプトベースの検索機能にも対応している。詳しくは第2章を参照。
[4] ここで言う「エージェント層」とは、エージェントによる情報伝達の基幹という位置付けであり、他層においても(外界は除く)エージェントは存在し機能している。
[5] リレーショナルデータベースでは、データは他のデータとの「関係(リレーション)」を定義するテーブルとして管理されている。従って、そのテーブルの初期設計が、データベース構築を煩雑にしたり統合作業を困難にしている。
[6]今回の制限的な開発においては、ユーザー数が少ないため、収束に膨大な標本数を必要とする学習アルゴリズム(ファジー・ニューラルネット等)は用いない。今回の開発成果が得られれば、学習アルゴリズムを組み入れた併用型に、段階的に移行してゆく予定である。
[7] http://www.ichimy.com
[8] http://www.nwco.com/
[9] http://www.ichimy.com